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オールジャパンで戦略的な国際平和協力を-国益と誇りを示す派遣を模索せよ-


【自衛隊の国連PKO派遣の活発化】
 今年20周年を迎える国際平和協力法による自衛隊部隊派遣は、近年活発な展開をみせている。ゴラン高原、ハイチおよび南スーダンと、3つの地域へ同時に 部隊を派遣することは過去に例がない。国連PKOへの自衛隊派遣は重要な外交ツールである一方で、災害派遣、アデン湾の海賊対処行動、対領空侵犯措置など 各種活動が増加する中、自衛隊の国連PKO派遣の戦略的な運用が求められているといえよう。

 戦略性という場合、国連PKOへの派遣が我が国の安全保障の目的に資するよう、限られた機会と資源を最大限に活用することが肝要である。国連PKOへの 派遣は、我が国に対する直接的な脅威に対応するものではないが、国連の平和活動を支えることにより、当該国の平和と人間の安全保障に貢献し、国際の平和と 安定を促す。また、共に世界の平和と繁栄を担う共有財産と位置付けられる日米同盟(外交青書2011)の観点からも、米国の戦略的重要地域に日本が部隊を 派遣することには重要な意味を見出すことができよう。こうした目的に資するためには、まず受入国で活動の成果をあげること、そしてそれが国益と国際公益の 双方に資する活動であることが内外的に認知される必要がある。

【オールジャパン:ODA部門とPKO部門の協力の深化】
 限られた資源でより高い効果をだすという意味合いにおいて、活動の現場で試みられているのが、ODA部門とPKO部門の協力である。国づくり支援を眼目 とした国連PKOは、近年、文民部門と軍事部門が統合された構成となっており、双方が緊密に連携することで様々なニーズに応える体制が整えられてきた。 2010年1月のハイチ大地震後、国連ハイチ安定化ミッションは国連外の人道支援アクター等からのニーズに国連PKOのアセットを持って応えるというシス テムを整え、従来、ミッションの後方支援が任務であった施設部隊が、現地の人々に直接裨益する活動を行うことができるようになり、ハイチでは自衛隊が孤児 院や学校の整備を行った。さらに、自衛隊が日本大使館やNGOと連携することによって、ODAを活用したプロジェクトと連動した支援が可能となっている。 これは、プロジェクトそのものの効果だけでなく、現地、国連、他国のPKO部隊に対して、日本のプレゼンスを示す効果をもたらしている。国連関係者や受入 国からの賛辞は、自衛隊の技術や勤勉ぶりだけではなく、ODAとPKO、官と民の協力により実のある支援ができる国としての評価と捉えることができよう。

 こうした協力は南スーダン派遣においてシステム化され、外務省現地大使館・内閣府国際平和協力本部事務局連絡調整事務所と自衛隊の3者が定期的に統合連 絡会議を開くことで、より戦略的に運用される方向性にある。また、本省側でも調整会議が行われ、国連PKOへの派遣を通じた包括的なオールジャパン体制が 整いつつあるといえよう。

【「誇り」を示す派遣に向けて】
 こうした進展がみられる一方で、改善が必要な側面も指摘できる。ハイチおよびスーダンに展開する自衛隊は、比較的治安もよく、利便性の高い首都に展開し ている。その背景には、治安状況の悪い地方には展開できないという事情がある。ジュバ郊外での危険な状況は日本でも報道されているが、武器使用に関する議 論は深化しないまま派遣が行われた。自衛や文民保護が要請される昨今の国連PKOの現実に鑑みれば、派遣国として現状に即した派遣の在り方について議論を 喚起するような政治の姿勢があってもよいのではないか。こうした議論の有用性は国連PKOへの派遣のみに限定されない。イラク時のように国際平和協力法が 規定する活動以外への自衛隊派遣への貢献について、如何なる対応をすべきなのかについての議論を喚起することにもつながる。国連PKOにおいてODAを活 用しつつソフトな活動に注力することは、それとして高い評価がされるものの、ともすればPKF派遣や、国連PKO以外の貢献を回避する口実と捉えられかね ないということを認識すべきであろう。 

 今回の南スーダン派遣でも他国軍に警備を依頼せざるを得なかった。これが真に日本人の「誇り」(野田首相施政方針演説2012年)を示すものであるかど うか問い直す必要がある。PKO派遣の契機を捉えて武器使用のあり方を含めたPKO5原則の再考が進められ、国連PKOの枠外における貢献も考慮しつつ、 集団的自衛権行使の段階的解除の議論を進めるという思考をもつことは、日米同盟において平等な負担を実現しうる素地を作るためにも必要ではないかと考える。