イラン核合意に学ぶべき「複雑な安全保障ジレンマ」状況の難しさ

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石川 卓(防衛大学校 国際関係学科 教授)

 今年7月14日に結ばれたイラン核合意をめぐっては、米国内で賛否両論が激しく対立してきたが、9月10日、上院で不承認決議案を採決に持ち込むための動議が否決され、オバマ政権は大統領拒否権を行使することなく合意を実施できる見通しとなった。議会が合意を阻み切れないことは大方の予想通りであったものの、まずは安堵といえよう。

 核合意に対する厳しい批判には傾聴すべき部分もあるが、一方的な誇張や筋違いな主張も少なくない。このまま強力な制裁をかけ続ければ、濃縮・再処理の完全放棄、あるいは核問題以外の問題行動の是正をもイランに認めさせる「より良い合意」が可能になるといった主張は、さすがに説得力を持ちえなかったといえる。

 無論、核合意そのものは単なる始まりであり、広く指摘される通り、より重要なのは、その実施を含めた今後の行方である。米国議会の不承認回避も、今後の長い道のりに比すれば小さな一歩にすぎない。合意の実施を成功裏に進めることによって、ようやくオバマ大統領も「遺産」を築くことができるのである。

 そのためには、それ自体がさまざまな困難を伴う合意の実施に加え、不遵守などの問題が生じた場合の備えを並行させていくことが必要となる。ロシアのように、イラン向けとされてきたミサイル防衛システムの欧州配備が核合意により不要になったと見るのは拙速である。安保法制論議でも話題となったホルムズ海峡封鎖の可能性が低下したという見方も、それ自体は妥当であるとしても、それに備えることの意味が同等に低下したと見るべきではない。

 米国は近年、イラン脅威を念頭に、イスラエルや湾岸諸国、北大西洋条約機構(NATO)諸国を巻き込んだミサイル防衛網を含む地域抑止態勢の整備を進めてきたが、それは、イスラエルや湾岸諸国の不安を緩和する手段、イランに対しては遵守を促す圧力と不遵守が生じた際の備えとして、今後も重要な意味を持つ。米国政府にとっては、国内の反対論を抑制する手段にもなる。一方で、その維持・強化がイランの反発を惹起する可能性も当然ながら否定できない。しかし、たとえイランが「決意した拡散者」(determined proliferator)ではないとしても、その維持・強化をやめれば良いというほど話は単純ではない。

 今後イランによる不遵守が露呈した場合には、米国は、軍事力行使を含む「すべての選択肢が卓上にある」状況で、難しい交渉に当たらなければならない。米国の覚悟に疑義があれば、不遵守状態の継続・悪化、中露による制裁の「スナップ・バック」の阻害、周辺諸国による独自路線の追求などにより、事態がさらに流動化する可能性も高くなる。しかし、備えを偏重しすぎて、合意の実施が害されることも避けなければならない。

 つまり、「複雑な安全保障ジレンマ」(composite security dilemma)※1) の典型ともいえる状況のなかで、絶妙なバランスを取っていくという本来的に難しい課題に取り組みつつ、こちらも困難な合意の実施を進めていかなければならないのである。核合意により危機的状況に対処するための時間的余裕が拡大していく可能性が高いとはいえ、相当な難航、紆余曲折が予想される。

 我が国も、細部には多々相違があるとはいえ、同じように「複雑な安全保障ジレンマ」状況のなかに置かれており、その成否にかかわらず、イラン核合意の今後から学ぶべきことは多い。特に、抑止態勢強化の利点しか論じない姿勢も、抑止態勢強化の弊害のみを指摘し、その解消を抑止の実質的な否定によってのみ論じる姿勢も、ともに見直される必要があるということは、まず学ばれるべきであろう。

※1) Glenn H. Snyder, “The Security Dilemma in Alliance Politics,” World Politics, Vol. 36, No. 4, July 1984, pp. 468-471 などを参照。

RIPS' Eye No.198

執筆者略歴

いしかわ・たく 1992年上智大学法学部卒。1998年一橋大学法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。東洋英和女学院大学講師・准教授、防衛大学校准教授などを経て、現職。専門は、国政政治学、安全保障論、アメリカ外交。平和・安全保障研究所安全保障研究奨学プログラム第8期生(1996~98年)。

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