保健衛生の危機と安全保障

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滝澤 美佐子 (桜美林大学 リベラルアーツ学群・大学院 国際学研究科 教授)

 2014年9月19日、国連安全保障理事会は、ギニア、リベリア、シエラレオネの西アフリカ諸国におけるエボラ出血熱(Ebola Virus Disease)の急速な拡大に伴い、決議2177
を全会一致で採択した。決議採択後の午後、潘基文事務総長はエボラ緊急展開国連ミッション(UN Mission for Ebola Emergency Response: UNMEER)を提案し、国連総会決議
69/1の承認を経て、UNMEERは9月30日よりガーナのアクラで活動を開始した。

 保健衛生の分野で国際協力の調整にあたる中心機関は国連の専門機関である世界保健機関(WHO)である。2003年のSARSを受けてWHOのブルントラント事務局長(当時)は公衆衛生上の危機を安全保障の問題と位置付けた。WHOの設立後から行動規範となってきた国際保健規則は、SARSを受けて2005年に大幅改定された。新国際保健規則は、そもそも黄熱病、コレラ、ペストの三疾患のみを対象とした旧規則から、あらゆる新興再興感染症を「国際的な公衆衛生上の危機」(Public Health Emergency of International Concern:PHEIC)として対処できる体制に転換をした。2009年に鳥インフルエンザ(H5N1型)の流行はSARSに次ぎ安全保障の問題とされ、WHOは新規則に基づきPHEICと決定した。エボラ出血熱もPHEICと認定されWHO勧告が出されている。ただしSARS・鳥インフルエンザに関しては、国連安保理決議までは採択されていない。発症数も死亡者も二桁までに抑えた。他方、エボラ出血熱はWHOが確認できた数として10月12日の段階で8973人のエボラ熱発症(疑いのあるケースも含む)、死亡は4484人に上る。

 国連安保理が保健衛生の問題を平和と安全への脅威の問題とみなして決議を採択したのは今回のエボラ出血熱が実に3回目である。先の2回はHIV/エイズ関連であり2000年7月18日の安保理決議1308と2011年の安保理決議1983である。が採択された。急激な感染の拡大と社会不安、国の孤立と崩壊の危機は、人間と国家にとり安全保障上の脅威である。

 エボラ出血熱の感染に関する安保理決議2177は、前文でアフリカにおけるエボラ出血熱として前例のない大流行を国際の平和と安全に対する脅威として認定し概要下記を決議した。①国連機関の支援の強化を事務総長に要請、WHOに政府とパートナーへの技術的なリーダーシップと活動へのサポート促進要請、②リベリア、シエラレオネ、ギニアに対し危機対処への国内体制の構築を急ぐよう要請、③周辺国、交通機関関連会社に対し流行諸国を孤立に追い込むような国境の規制を解除するよう要請、④加盟国、アフリカ連合(AU)、西アフリカ共同体(ECOWAS)、欧州連合(EU)に対する支援強化要請、⑤国際保健、人道支援要員に対しての感謝と適切な医療人道支援活動の要請等である。

 UNMEERは、医療緊急事態対処における国連初のミッションである。事務総長の意図したミッションの目的は、現時点のエボラ出血熱の阻止と流行拡大の防止、患者への対応、必要なサービスの提供確保、安定の確保等である。事務総長は、同時にエボラ熱問題事務総長特別代表も任命し、同代表は流行諸国も訪問し全般的な調査報告の任務にあたる。

 保健衛生分野の国際協力は水平的な協力と垂直的な協力の二つの局面がある。水平的な協力とは加盟国間の国際機構を通じた国家間協力である。垂直的な協力とは、流行国におけるステークホルダー間の協力であり、政府、現地展開する国際機関、諸外国の保健衛生、開発系政府機関関係者や専門家、病院と保健医療従事者、製薬会社、運輸会社、報道関係等の会社、NGO、一般市民等の緊密な連携という意味での協力である。

 安保理決議は水平的な協力において意味がある。今回安保理の決議が採択されたことの意味は、エボラ熱が世界の諸問題の最優先課題の一つとして加盟国に共有されたことであり、この段階では必至であった。決議の直接の結果として加盟各国から資金、または人的、物的、技術的支援が増大した。それらはIMF、世銀による資金的な支援にも反映する。ただし安保理決議のみでは万能ではない。必要な財、資源、技術、情報を流行国における垂直的協力に落とし込む必要がある。汚職の排除も要となろう。本来現地政府がローカルな政府も含めて調整能力を果たすことが非常に重要であるが、そもそも平和構築過程の国も含む脆弱な流行諸国政府への支援は必須である。WHOは勧告、計画や行動指針の提示、技術指導を行っているが、WHOは手足を持たない。しかし政策面での優先順位の決定には国連と、十分議論する必要がある。それを受け現場での調整には、大量の予防接種、患者への治療、ロジスティクス、埋葬方法を含めた感染ルートへの対処などクラスター(分野)ごとの情報や戦略の共有や連携が不可欠である。UNMEERはアクラにおいてインターエージェンシーの調整会議を行っている。それが流行地域における必要と合致しなければならない。政策・戦略決定、調整、実施において関連主体との議論を尽くしながら国連システム全体が効果を発揮することを期待する。今回は安全保障上の脅威の事態であり、保健衛生セクターの強化という重要な国際協力に加えて、流行国の存亡を支えるより総合的な支援となる。軍事的脅威でなく保健衛生の危機が中核であるため、保健衛生セクター強化をあくまで優先課題としてガバナンス支援、治安、雇用安定などの支援が行われることが必要と考える。

RIPS' Eye No.188

執筆者略歴

たきざわ・みさこ 桜美林大学リベラルアーツ学群・大学院国際学研究科教授。国際基督教大学行政学研究科博士後期課程修了。ロンドン大学(LSE)国際法ディプロマ修了。主な著書として、『国際人権基準の法的性格』(21世紀国際法学術叢書-中部大学学術叢書2004年)、『国際社会と法-国際法・国際人権法・国際経済法』(共著)(有斐閣2010年)、『紛争解決-アフリカの経験と展望(共著)』(ミネルヴァ書房2010年)など。

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